インド二日目 バラナシ
バラナシ空港のまわりは、のどかな田園風景が広がっていました。エアポートタクシーに乗り(料金は決まっています)念願のガンジス川を目指します。
ドライバーと、自称ガイドが一緒に乗ってきて、しきりに街中心部のホテルを勧めますが、ガンジス川のそばのゲストハウスに泊まると決めていたので、乗ってる間中ずーっと言い合い。
「今は雨季でガンジス川は増水していて(本当)ゲストハウスはみんなクローズしている(嘘)」
「それを自分の目で確かめてから決める」
「街中のホテルの方が、駅も近いしバス停も近いし安全だよ」
「ガンジス河のそばがいいの」
「今は雨季で・・(最初に戻る)」
あのしつこさは、日本にいるとお目にかからないので、多分大体の人が途中で面倒臭くなってしまうのではないか、と思います。しかし、曖昧な断り方は、インドではイエスだととられてしまうようです。にごす、という事が不可能な国・・。
途中でタクシーを降り、徒歩でガンジス河に向かいます。牛と、人と、リキシャーと、車とサルと犬(みんな病気)でごったがえしの中を、進んでいくと、いつの間にかムスリム人街に入っていました。ヒンドウの聖地に、ムスリム人街。世界では、宗教が原因で殺し合いをしている所が多いのに・・。
後からいろんな人に聞きましたが、ヒンドウ教は多神教で、なんでもありのオープンな側面があるらしく、インドではムスリムも、仏教も、ヒンドウ教も、ジャイナ教も、みんな仲良く暮らしているようです。
狭い路地が、マーケットになっていて、食器や文具、スパイスや衣類などいろんなものが所せましと置かれています。面白い!牛の糞とスリに注意しつつ歩いていると、青年が声をかけてきました。
「火葬場に行くの?」
「決めてない。適当にガンジス河に向かっている」
こっちだよ、と勝手に案内を始めます。いやな予感。
「自分で行けるから。ありがとう」
「僕悪い人じゃないよ」
「一人が好きなの」
「迷っちゃうよ」
「そしたらまた聞くからいいの」
「僕悪い人じゃ・・(くりかえし)」
何を言ってもついてくるので、というか勝手に先導してくるので、私も彼のことをあまり気にせず、気になるところで立ち止まり、気になる路地を勝手に曲がったりしていました。
ガンジス河のそばの路地は、迷路のようにせまく曲がりくねっていて、しかも町全体が古いです。人々の住む家々はみっしりと立ち並び、その間に当然のように古いヒンドウ教寺院があります。蔦がからまり、中から大木が顔を出している様は、神秘的でとても美しく、立ち止まって見上げ、溜息をつかずにはいられません。
そのたびに彼は走って戻ってきて、
「そっちじゃないよー」
とせかします。ああ、善意風の笑顔がまたタチが悪い。
「ここが奇麗だから、私はここにいる」
「あそう」
青年は、寺院を見上げている私をそばで黙ーって待ちます。あああ。
図らずも青年に連れてこられる形で、ガンジス河に到着。火葬場のそばには建物があり、そこに登るとガンジス河の素晴らしい景色が広がっていました。
大きく、濁った川。悠々と流れています。ミルクティのような色です。でも、汚い感じがしません。小さな事ではびくともしなそうな、インド人のおじいさんに似ています。比べて日本人は、山の間を流れる透明な小川、奇麗で繊細なせせらぎに似ているなあ、と思いました。
火葬場で焼かれる死体が、次々にガンジス河で清められていきます。そのそばを、ミイラ化した遺体が流されていきます。普通の人は、お清めの為に焼かれ、灰を流されるようですが、幼児や、事故死した人、サドゥ(修行僧?)はそのまま流されるようです。見たところ流れてきた死体はサドゥのようですが、その足がボートをつなぐロープにひっかかり、流れるのをやめてしまいました。ボートの持ち主が、面倒くさそうに、乱暴な感じでロープをふり、ひっかかった足をほどきましたが、そのあたりの河の流れは停滞していて、皆に尊敬されていたかもしれないサドゥは、いつまでもボートの隙間にぷかぷか漂っています。何とも言えない気持ちでしたが、反面、死は全然特別な事じゃないんだなあ、と思いました。
日本では、死は忌み嫌うもの、隠されるもの、という感じですが、隠されると死は、どんどん未知の怖いものになる気がします。死は生きているのと同じように、特別な事じゃない。みんな死ぬんだ、一緒なんだ、と思えただけでも、ここに来られて良かった、と思いました。日本人バックパッカーにバラナシが人気なのも、みんなそれが知りたいからなのかもしれません。
青年が、痩せたサドゥのような風貌のおじさんを連れてきました。マザーテレサのように、身よりのない、貧しい老人達が幸せな最後を過ごせるような施設をやっているようです。
その人は河を見ていた私の隣に座り、ヒンドウ教について、世界について、なんだか素晴らしく聞こえる話を始めたのですが・・ハッパでもやっているのでは?と思えるほど目が濁り、光も鋭さも賢さも意志もそこからは感じられず、とても素晴らしい人には見えません。
そして話しながら、寝るんです。
どんどん口がまわらなくなってきて、言葉はただ口からもれる音になり、目が閉じてゆきます。で、うつむいてしばらく寝た後、ふっと顔を上げ最後の言葉を言うんです。
「For people aaaauuuuu・・・・・・・・・・・・・(しばらく寝て)Life」
笑いをこらえるのに必死でした。
話が終わるのを待っていられないので行こうとすると、そのおじさんがお布施を要求してきました。それが、1000ルピー!!一泊300ルピーで泊まれるのに!
「そんなお金はない」
「人々の為に」
「無理だってば」
「あなたのグッドカルマの為に」
「あなたのしていることも、宗教も尊重しているけど、私はヒンドウ教ではない」
「関係ない、神にはあなたも私も同じだ。人々の為に(繰り返し)」
これ、本当に断りにくいです。が、50ルピーだけ渡してさっさと去りました。
後から他の人に聞
くと、お布施は10ルピーで十分だそうです。
青年が、次はどこに行く?と聞いてくるので、
「ただ散歩したいだけだから、もう、ここからは一人で行く」
と告げると、青年の顔色が変わりました。
「でも、僕はあなたの為に時間を費やした。いろいろ説明したし、案内した」
「頼んでないよ」
「でも、僕の仕事はガイドだ」
「だから、頼んでないでしょ」
「じゃあ、いままで案内した分のお金をくれ」
「あのね、私があなたにガイドを頼んで、あなたが引き受けて、初めてあなたは私のガイドになるの。でもね、私は頼んでないの。私は一人が好きだと、何度も言ったでしょう」
ここで怒ってしまう外国人旅行者がかなりいるのですが、理にかなった事を、切々と、言い聞かせるように話すと、案外あっさりわかってくれます。
青年はしゅんとした様子で、
「わかったよ。でも僕は悪い人じゃないよ。いろんな日本人が良い人だと言ってくれるよ。ただ、今はオフシーズンだから・・」
「あなたが良い人なのは知ってるから」
「じゃあせめて、僕の店に行かない?安いお土産たくさんあるよ」
うーん、すごい。インド人。でも、なんか憎めない。
フレンズゲストハウスという、家族経営のゲストハウスに泊まる事にする。60ルピーで泊まれるドミトリーが改装中だったので、最上階の、テラス付きの部屋に300ルピーで泊まることにしました。これが、大正解。部屋も清潔だし、ホットシャワーもあるし、風通しもよく、ガンジス河も町並みも見ることが出来ます。
近くの食堂でカレーと、欲に負けてラッシーを頼み(以前ネパールで猛烈な食中毒を起こしました)テラスで軽くヨガをして寝ました。